LIVIO SEGUSO
- 楽園
- 2019年2月19日
- 読了時間: 2分
去年の夏に、泊まりで箱根をぶらぶらしたのですが、その時に寄った「箱根ガラスの森美術館」でSEGUSOの作品に出会いました。
まず、自分の身長よりも大きなガラス工芸品って初めてで、とにかくめっちゃ透明だなって思いました。作品の前に立つと、水の中にいる、よりも透明。見える空気って感じ。圧がないのに存在感があって、なによりもガラスを通して光を見ているという感覚が不思議で綺麗で最高でした。形は抽象的で、題名も、《統合》、《出会い》とかでどこかの方面で理解できるか、と言われたら私にはできないんですけど、作品を見ていて、その作品がそこにあることで、なにかが「上がっている」感覚、わかる方いますか?なんだろう、質量じゃないけれど、空間の伸び方?空間が自分に及ぼす影響のキャパシティが変わるというか、そんな感じがしました。
私が美術館を訪れた期間では広い室内での展示のみでしたが、カタログ(ガラスの森美術館で購入)には野外で展示された作品も載っていて、それがもうすごかったです。最高すぎました。その作品があるだけで、その空間がそれまでとは全く違うものになってしまう。カタログを見ただけでそう思うのだから、実際見たらもうとんでもないと思います。
特に、《VEGETAZIONE》という作品は1995年にヴェネチアビエンナーレ(国際美術展覧会)の100周年を記念して制作されたものなのですが、これが設置された場所がラグーナ(潟)で、海からガラスの美しい自由奔放な手足が伸びて、踊っている感じです。カタログの写真は1995年に撮影されたらしきもので、とても映りが良いとは言えませんが、それでも海の上特有の光を反射するガラスは、なんかもう夢にも出てこない美しさだと想像できます。
空間芸術って本当にその名の通りで、空間を支配してしまうと思うのですが、その空間は時間と切り離せないもので、空間芸術と時間芸術の差って本当のところどうなんだろうと考えてみてるんですが、謎です。時間はそれだけでひとつの空間なのかな?とか生き物も空間なのかな?とか空間って外側しか見えないのかな?とか、難しいですね。
ここまで読み返してみてちょっと自分の説明の下手さにびっくりしましたが、SEGUSOの作品は本当に素晴らしいので、興味がある方は調べてみてください。
ムラーノの工房では見学も受け入れているらしいですよ。行ってみたいな。
https://seguso.com/
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